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文化財区分
管理番号 0302005
名称 象先和尚の像
名称ふりがな ぞうせんおしょうのぞう
名称英語表記
種別(種目) 有形文化財(絵画)
地区 明智 
所在地・住所 明智町杉平
指定 市指定
時代・樹高・幹周囲 明治
員数・地積等 1幅
所有者・保持者 安住寺
告知・指定年月日 1977年3月17日
告知・指定番号 恵有58
画像01 被写体名:象先和尚の像
説明文:
撮影日時:
撮影者:恵那市
撮影場所:明智町杉平
ファイル名:030200501.jpg
収録DVD:1
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解説
 山本芳翠画
嘉永3年5月、明智町野志の山本権八氏の長男で生まれる。幼名を為蔵と言った。杉平安住寺住職象先和尚の寺子屋に学び、幼児より画才には秀でていた。氏のすすめで慶応元年為蔵16歳志を立てて、京都に出て日本画を久保田雪江、小田海遷等に師事、その後、中国に向おうとして横浜に出た。当時明治5年の頃は欧風文化万能の時代となって洋画を学ぶ事を決意し五姓田芳柳の門人となり、この時芳翠の雅号を名乗った。
明治9年工学部美術学校に入学、明治11年、仏国パリー美術学校に学ぶ、明治18年、第1回の個展開催280点を展示、仏国のユーゴー(文豪)や代議士等の子弟等に日本画を教授した。又演劇の背景にも興味を持ちその画の研究をも深くなした。
明治20年黒田清輝が渡仏、芳翠帰国後、(画塾)生巧画学校を創設、館木版部を開設して高等小学校教科書のさし絵を自ら画いて印刷。明治22年美術会創立に仲立ちし当時日本画讃美の中で迫害と闘い乍ら努力をおしまなかった。この頃の作品に「浦島」がある。
生巧館、アトリエを黒田清輝にゆずり天真道場と改名した。明治27年白馬会に加入、日清日露の両戦役に従軍画家として報道に従事、明治29年11月15日脳溢血で急逝。行年57歳の若さであった。
郷土出身で宮延画家と呼ばれ宮内庁も数多く御買上げになり、その足跡は大きい。生家などに「灯をもつ乙女」「老母」「梅」などがある。現在は一部の作品が岐阜県美術館に寄託されている。


アクセス情報
中央自動車道瑞浪ICから国道19号、主要地方道、国道363号で約55分


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